カンバセイション・ピース

カンバセイション・ピース

カンバセイション・ピース


「新潮」のバックナンバーに掲載されていたものを読み、
「以下次号」の文字を見て初めて連載だったと気付く。
よく見ると表紙に「集中連載」って書いてあった。
わーん続き読みたい。まだ文庫出ていないみたいです。ハードカバーはきつい。
というわけでまだ最後まで読んでいないのですが、
おもしろいです。


この小説は語りべの人間は主役ではなく
主役はヒロインでもなく(ヒロインというヒロインはいない)
飼っている三匹の猫、のように思わせつつ
本当は「家」、もしくは「家に昔すんでいた人間または猫の匂い」なのかもしれません。
「家」が主役の小説といえば、バージニア・リー・バートンの「ちいさいおうち」が有名ですが、(これ絵本だけどね)
家にしみついている人の気配とか猫の気配、なんていう小説は読んだことがなかったです。


この小説のおもしろさは、もうすこしで演出過剰、またはフィクションだからというおおげさな表現、ギャグになりそうなすれすれのところを外して、話の波がない、あくまでも退屈な内容を書き続けているということ。
小説を読みなれている人はコツを掴んでいるから、重要部分だけを読んで他のさほど重要でない日常部分というのは読み飛ばすことができるけれど、この話はどこを読み飛ばしても支障がない。けれど、どこも読み飛ばすことが出来ない。ほぼなにも起こらない退屈な文章なのにこの文章がおもしろい。


その退屈さは「リアル」とは少し違う。この話はあんまりリアルではないと思います。
なぜなら幸福すぎるからです。主人公は悩みなく大家族(血縁関係で無い人もけっこう出入りする)と幸せに暮らしているし、これからもそれが続いていきそうな雰囲気が出ています。
リアルではないのに大げさではないし、演出過剰でもない。へんでもない。そして純文学ではないような気がします。
じゃあなんなんだ、というと分かりません。
続きを読んでまた考えよう。